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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第4節 女心 [1]




 今でも、夢であったのではないかと疑う。

 あの後二人で宿に戻り、部屋で一人、ぼんやりと寝たのも。翌日、せっかくだからと京都市内へ観光に出たのも。

 一緒に京都へ出かけた事実すら、本当は夢だったのでは?

 だがポケットの中の、携帯の存在。メモリの中の、彼の番号。
「おーいっ」
 耳元で囁かれ、美鶴は飛び上がった。
「聞いてる?」
 首を傾げて問いかけられ、中腰のまま狼狽(うろた)える。
「聞いてなかったでしょ?」
「あっ……」
 口も半開きのまま言葉もない美鶴に、ツバサは憮然と口を尖らせた。
「その顔だと、全然聞いてなかったね?」
「あっ ごめん」
 さすがに言い訳もできない。
「何だっけ? 携帯? 別に持つ必要もないし」
「その話は、とっくの昔に終わってるんですけど」
「あっ………」
 やぶへび
 そんな美鶴に上目づかいでため息をつき、空になったペットボトルに蓋をして立ち上がる。
「私はこれから【唐草ハウス】へ戻るけど、よかったら美鶴も来ない?」
「え? 私が?」
「どーせ、暇でしょ?」
 特に予定はない。だが
「いいよ」
「なんで?」
「なんでって……」
 事情のある子供達と過ごすなんて、なんとなく気が引ける。
 その表情に、ツバサが笑う。
「コウと同じ」
「え?」
「コウもね、【唐草ハウス】には入りたがらないの。なんかね、どういう態度を取ればいいのかわからないんだって」
 そんなに堅苦しく考えるコトもないのに、と背伸びをするツバサ。
 もう陽は傾き、辺りは夕焼けに染まり始めている。
「じゃあ、私はそろそろ戻らなきゃ」
 そう言って石段を軽やかに降りていく。
「美鶴もサッサと帰んなよ。アンタは揉め事に巻き込まれやすいんだから」
 わかっているような口ぶりで、母親のような言葉。
「あっ お金はいつでもいいからねぇ〜」
 そう付け足し、背を向けて肩越しに手を振った。
 そうして、そのまま神社を出て行った。
 残された美鶴。足元にシャンプー。
 夕方になり、気休めにだが風が流れる。
 (なび)く髪から、漂う香り。
 銀梅花の――― ささやかな香り。
 背に甦る、掌の感触。

 霞流さんは、笑わなかった。

 耳の奥で嘲笑が吹き荒れる。
 もし霞流慎二が、唐渓の、美鶴が小バカにしている同級生や、その昔、フられた美鶴を陰で笑った同級生たちと同じような輩だったら?
 もしそうだったら、きっと動揺する美鶴を(わら)っただろう。
「何? 私が本気だと思いました?」
「冗談ですよ。ジョ・ウ・ダ・ン」
 そんな風に(あざけ)っただろう。
 だが彼は、動揺し、震える美鶴を嗤わなかった。深々と頭を下げ、非礼を詫びた。

 霞流さんは、他の人とは違う。







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